

新思潮 No.125 2014年3月号③
| この書状展げるまでもなき落暉 | 細川不凍 |
| 今はただ落暉と対峙する作者。叙情的な手紙ではなく堅い内容を思わせる書状。どのような書状であろうとも、大自然の落暉を前に、一枚の書状での人間関係や営みは些細なこと。すべては落暉に溶けて、やがて沈んでゆく。書状と雄大な落暉の対比が、見事だ。〈西田雅子〉 | |
| 耳飾りの少女が首ふって 冬 | 西郷かの女 |
| いつもはじっと耳を傾けてこちらの話を聴いている人形が、ある日、首を振る。きらっと光る人形の耳飾りと「冬」の一語で、冷たさがぞくっと伝わってくる。それから続く冬。ドラマが始まる。〈西田雅子〉 | |
| 手文庫にこよりで綴じた風がある | 御供田あい子 |
| 手紙などを入れる小箱の手文庫には、いろいろな風が渦巻いている。その一つずつがあの人この人につながる風で、悲しみや怒りの風もあるだろう。その中の一つに〝こよりで綴じた風〟があるというのだ。この風は勿論、特別な風に違いなく、綴じたこよりを解くと、暴れだす風なのだ。〈岡田俊介〉 | |
| 古書店に居座る冬の蝶図鑑 | 新井笑葉 |
| 古書店の棚にいつまでも置かれている一冊の蝶図鑑。そこだけ時間が止まってしまったような空間。それでも蝶はじっと春の訪れを待っている。〈西田雅子〉 | |
| 寒椿母に似て来た姉二人 | 山下華子 |
| 〝姉二人〟の言葉の採用が作品を新鮮にした。〝母に似て来た〟のフレーズから、母への思いや、家族との出会いのなつかしさが感じられる。寒椿がそれを見守るように赤い花を咲かせているのだ。寒椿の視野の中での家族の出会いがしずかな余韻を残している。〈岡田俊介〉 | |
| たましいがしぐれの傘を出ていった | 鮎貝竹生 |
| いつもチャレンジングな表現を試みる作者だ。しぐれに傘差して歩く情景を詠むものだが、その傘を差す自身の〝たましい〟がふっと抜け出してしまったという、一瞬のめまいのような錯覚を句にしたためた。チャレンジングな表現はいつも成功するとは限らないが、自身の作風を拡げる意味は大きいにちがいない。〈岡田俊介〉 | |
| あらあらと冬の重石を曳き合うて | 山崎夫美子 |
| 日々の生活の中で背負っている重く大きいもの。冬であればなおさら重くのしかかる。お互いに曳き合ってばかりで思うようにいかない。「あらあら」は驚きやあきれた声とも、荒々しいとも取れ、それでも前へ進まなければならないやるせなさ。〈西田雅子〉 | |
| 斜めに「ら」と書くてのひらの残響 | 姫乃彩愛 |
| 「ら」はてのひらの「ら」、そらの「ら」。てのひらからこぼれ落ちても、空へ飛び立つことだろう。かけがいのない大切なものの温もりは、いつまでも心に残る。〈西田雅子〉 | |
| 椿落つそこから水のひろがりぬ | 酒谷愛郷 |
| 椿の落ちる一瞬は、こころの持ちように応じて突き刺さってくるものだ、この句はその情景を〝水のひろがり〟と捉えた。鋭敏になった冬のこころが捉える情景であろう。こころへの衝撃で、無色でありふれた存在の〝水〟が一瞬音もなく走ったのである。身近な〝水〟の広がりは、無限の広がりなのだ。 富澤赤黄男の有名な俳句、 蝶墜ちて大音響の結氷期 赤黄男 を思い出した。〈岡田俊介〉 |
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| 画くなら勿忘草を淡く画く | 岡田俊介 |
| 秋の果て命を譲る森の儀式 | 小林ひろ子 |
| 銀化して裸木となる冬の意志 | 杉山夕祈 |
| 花の名を忘れた母と春を待つ | 山辺和子 |
| 断片を集めて作る夜の駅 | 寺田 靖 |
| 深々と闇に囲まれ着膨れる | 大橋あけみ |
| 朝な朝な糠味噌まぜて師走くる | 野崎志津江 |
| 瘋癲になるまで杖の朽ちるまで | 古谷恭一 |
| 合掌の中でさえずる夜啼鶯(ナイチンゲール) | 元永 宣子 |
| どんより三月 起立する潟の人形(ひとがた | 山内 洋 |
| 早よ酔わな桜がにげる皆にげる | 濱田玲郎 |
| 喧騒をくぐりひとりの舟に乗る | 越智ひろ子 |
| いちにちを花びら高く積んで待つ | 西田雅子 |
| 一室に解く新しき美容液 | 松井文子 |
2014.4.17
























